(250) Days of Summer

20代後半女子の恋愛失敗談 / 現在留学中

4_ひつじの顔したAくん

 - 2016年8月中旬(1)
そもそも、一般的に男性の家に飲みに行く(2人きり)というのは、それなりのことを覚悟していくべきものなのでしょうか?正直なところ、私はまったく何も考えていませんでした。理由は2つ。

1:Aくんは真面目そうなタイプに見えた。

2:Aくんは既婚者で奥さんを大切にしている風だった。

特筆すべきは2。そうです、Aくんは既婚者だったんです。奥さんが日本にいて、もうすぐVISAを取得してNYに来るのだと嬉しそうに話していたAくんは、愛妻家でとても安全な人に思えました。それに加えてわたしの未熟な経験値からすると男性とは概ね”安全”ないきもので、「男は狼」なんて神話か都市伝説かなにかかと思っていました。

8月某日、彼の仕事が終わるタイミングで家にお邪魔しました。ちょっと高めのGINとタコスを用意して出迎えてくれたAくん。今まで授業終わりに少し話す程度だったけど、初めてたくさん話して、本当に楽しい時間が過ぎていきました。「やさしいし話してて楽しいし、いい友だちができたなあ」と嬉しく思っていたわたしは、「夜のBrooklynは危ないし、もしよかったら泊まっていってもいいよ」という彼の発言にも素直に「ありがとう!じゃあ泊めてもらおうかなー」なんて返してました(実際、確かにわたしたちの住んでいる地域は夜はそれなりに危ないです)。もうAくんはわたしの中で完全に”イイ奴”と確定していたので、泊めてくれる=親切という認識でしかありませんでした。
彼氏の愚痴も聞いてもらってお酒も進んだ頃、事件は起きました。

3_はじまり

- 2016年8月初旬

留学して1ヶ月と少し、彼氏との関係にすでに亀裂が入り始めていました。実際のところ、だいぶ前から関係は冷え切っていて、遅かれ早かれ別れるだろうなという状況だったので、予想通りの展開ではありました。LINEを通して行われる日々のやりとりの中で誤解が生じたりして、もう限界を感じていた私は「このまま私が彼女でいていいの?」というLINEを送りました。彼の返事は「ちょっと考えてから返信する」。ああ、もうこれは別れるフラグだな。とは言え、なんとなく覚悟は決まっていても生殺し状態に耐えられなかったわたし。ふとクラスメイトのAくんのことばが思い浮かびました。

『今度飲もうよ』

Aくんとは週一で学校で会う程度の仲でしたが、なんとなく話しやすい雰囲気があり、授業後は大抵おしゃべりしていました。今思うと彼氏の愚痴を聞いてもらったりすることがほとんどだったような気がします。そんな会話の流れで「今度飲もうよ」と言われ、わたしたちは家が近かったこともあって「いいねいいね、飲もうよ」と話していました。

「よし、Aくんに聞いてもらおう!」そう思ったわたしはさっそく彼にメールを送りました。「彼氏の愚痴聞いて!」彼からもすぐに返信が来て、日程も決まり、あとはお店を決めようという段階で彼から新たにメールを受信。

「うちでいい?」

一瞬悩むわたし。でも「うちはちょっと…」とか言ってカマトトぶって、Aくんの気分を害しても悪いなと思い、あっさり彼の家で飲むことになりました。

この考えが甘かった。

2_渡米 / 結婚について

- 2016年7月

4月に休職して3ヶ月、実は当時付き合っていた彼氏と元彼(現在は親友)の間でわたしの心は激しく揺れ動いていたのですが、なんとなくペンディングさせて飛び立ちました。この頃のことはまた後々書ければと思っています。

不安8割 / 期待2割を胸にNYにやってきたわたしですが、まあ来てから毎日が楽しすぎて幸せでした。このブログを書いている今現在、ちょうどNYに来て2ヶ月が経ちましたが、その気持ちは変わっていません。根がネガティブなわたしが毎日明るく過ごしているうちに、いつの間にか割とポジティブな人間になってしまったことに、他でもないわたしが誰よりも驚いています。

何より"結婚に対する考え方"が変わりました。日本にいた当時、"結婚できない女"に関するドラマや漫画が流行っていて、「女たるもの結婚は早くするべき」という風潮がそこかしこにありました。その頃わたしは、独身で仕事も遊びも思い切り楽しんでいる素敵な30代の女性先輩たちに囲まれており、一方結婚してもつまらなそうにしている友人もおり、「わたしはわたしのタイミングで結婚できればいいかな」と思っていたのですが、同世代独身女友達からの「私たちそろそろ結婚しないとやばいよね!どうしよう!」という悲鳴にも似た意見・相談・メールにも抗えずにいました。そんなモヤモヤを抱えたまま日本を飛び出したわたしでしたが、NYにやってきて、そのモヤモヤが晴れました。

ニューヨーカー(NYという土地はアメリカの中でも特殊なので、ニューヨーカー=アメリカ人ではないと思っています)は、いい意味で他人に無関心です。親しい友人でない限り、年齢やステータス(既婚・独身・彼氏あり・バツイチ…)を聞かれることは早々ありません。かと言って決して冷たいわけでもなく、大抵みんな親切だし、びっくりするほどフレンドリーです。ここでは肌の色も髪の色も目の色もみんな違うので、ちょっとやそっと違っても誰も気にしないし、注目するような違いがあればそれはむしろ歓迎されます。この温度感はわたしにとってすごく居心地のいいものでした。

そして何よりここには「私たち結婚しなきゃやばいよね!」と言ってくる同世代独身女友達がいません。彼女たちと物理的距離を置いたことが、たぶん一番大きかった。知らず知らずのうちに彼女たちから受けていた影響は絶大で、相手の立場になって相談を聞いているうちに、その悩みはわたしの中にもじわじわ浸透していたことに気づきました。

彼女たちと距離を置き、NYの人との距離感の中で生活するうちに、無理のない自分でいられるようになって、本当の意味で「わたしはわたしのタイミングで結婚すればいい」と思えるようになりました。

日本の「女は早く結婚しろブーム」は冷静に考えると時代錯誤も甚だしいと思うのですが、女子にはどうしても出産がつきまとうし、物理的タイムリミットもあるわけで、「それぞれのライフスタイルがあっていいじゃん」という単純な考え方では割り切れない部分があるのも確かだとは思います。でも、それでもわたしはたぶん今じゃない。やっぱり一生そばにいたいと思える人とパートナーになりたい。

だから「そろそろ…」と言いたい気持ちもわかるけれど、自分のタイミングでさせてください、結婚は。

1_このブログについて / 休職

ここ1~2年、仕事でも恋愛でもいろいろなことがありまして、この出来事を自分の中で溜め込まずに文章に書いてみたいと思い、ブログをはじめました。

「文章を書く」ということは私にとって癒しの効果があるようで、主にブログ内容は恋愛の失敗談になると思いますが、興味のある方にはお付き合いいただければと思っています。

 

わたし - 20代後半 / 性別女 / 会社員

 

- 2016年4月

勤め始めて6年目。某企業でせっせと社畜として働いてきたわたしでしたが、友人の一言をきっかけに会社を休職しました。友人は結婚していて子供もいるのですが、彼女がある日ふと「留学とかしてみたかったな」とつぶやいたのを聞いて「女は結婚して子供ができると簡単に留学とかできなくなるのか!!」と当たり前のことに衝撃を受け、「30代を目の前にした今って実はラストチャンスなんじゃ!」と思い(特に結婚の予定も出産の予定もないのに)、休職して留学することを決意しました。決意した瞬間は「なるほどね、わたしの人生ってそういうコースになってたのね」と自分で決めたにも関わらず、他人事のような気持ちでした。

留学先はニューヨーク。1:英語を勉強したい 2:友達・親戚が住んでいる 3:地下鉄が発達している、という3つの理由でほぼ即決でした。とは言え、超社畜として働いていたわたし。在職中に留学準備などできるはずもなく、7月渡米を目標に休職してから留学準備をはじめました。ニューヨークで通う学校に入学願書を出し、社畜小屋(都内の自宅)を引き払い、実家に転がりこみ、VISAを申請し、飛行機チケットを押さえる……丸5年社畜として山のようなタスクと向かい合ってきたわたしにとって、それは「これ2日で終わるな」と思えました。